施主のこだわりと 
棟梁・中村さんのこだわりが合致

 私たち夫婦は「定年退職後は半農半Xの生活を勝浦でおくる」と決めて、5年前から準備してきた。その拠点となる住まいを建てるにあたり、偶然か、必然か、棟梁・中村さんと出会うこととなった。
 私は「自然の素材(木・土・和紙など)で出来た家に住みたい。合板やクロスなど石油化学製品は極力使わない」「樹齢100年の木を使うなら、100年持 つ家にしたい」と考えていた。地元の大工さんにと思い、最も近所にある中村住宅を訪ねると、私の希望が「うちのやり方です」という。自宅と近所に手がけた 建築物があったことと、『世代が同じ』『商売っ気のなさ』『正直そう』などの好印象により「よしここだ」と心に決めた。
 私は大工の棟梁の五男に生まれたが、親爺も、跡を継いだ長男・次男も死亡し、大工の家系は途絶えている。中村さんは、大工の誰もが経験した苦しい時代 を、ハウスメーカーの下請けや安直な工法に走らず、ひたすら伝統の工法にこだわり、守り続けてきた人だ。二代目(息子)もいる。

 

希望する間取りと 
小屋裏利用(階段)が見事にマッチ

 私たちは、歳をとっても暮らせる平屋を希望した。ただし、子や孫が訪ねてくることを想定し、小屋裏に部屋を設けておきたい(左図が原案)。 
 しかし階段をどこにどう付けたらよいのか?  はたと困った。
 しかし、中村さんの提案により、写真のようにスッキリとして緩やかな階段が取り付いた。おまけに、一部屋のつもりだったのに、三つの部屋と大きな収納スペースが生まれ、屋根裏全体が無駄なく利用できるようになった。 (右図)
 今夏には子供3人を含む10名もの大所帯が二泊滞在した。

母屋と一体の土間・デッキは
想定していなかった仕上がり

 土間と屋根付きデッキは私たちの当初からの希望だったが、「母屋に付け足してくれれば…」という程度のものであった。
 しかし、出来上がったのは母屋と一体の構造物で、それ自体が惚れ込める『木組みの家』ならではの土間、デッキと言える仕上がりになった。

貫かれるこだわりと 
隅々まで丁寧な仕事ぶり

限られた予算を 
はるかに上回る材料と力の投入

 当初から私たちは、支出できる予算 の総額を中村さんに率直に示す態度で打ち合わせに臨んだ。建築にかかる一年も前から、盛土が農業用水や田んぼに崩落するのを防ぐ要壁づくり、畑への土の搬 入、池づくり、井戸掘りなどなどのために労を惜しまず動いてもらった。いよいよ建築となると、万全に過ぎる基礎工事、和室回りには吉野檜を使う、百年は耐 えるであろう材料と大きさの選定など ヘェと思えることがあいついだ。工程がすすむにつれて職人にありがちな『己の作品に入れ込む』雰囲気が感じられ、 「予算の範囲内で済むのだろうか?」とだんだんに心配がつのる。 
 結果は、オーバーしているに違いないけれど、予算通り。

くどいほどの 
綿密な打ち合わせが事の始め

  埼玉から月に一度のペースで通いながら、家の形状、屋根、間取り、階段、設備など基本的なことでは繰り返し打ち合わせを重ねた。一方、施工の細部は『おま かせ』のことが多く、「ヘェ、こんな風にやるんだ」「こんなことまで」と思うことが数多くあった。打ち合わせや工事がすすむにつれ、ますます信頼が深まる とともに、『協同で行う家づくり』の実感が強まっていった。棚の設置などは実際に暮らし始めてから依頼した。

このような仕事は 
ハウスメーカーにはまね出来ない

 『構造材が化粧材として使われるため、丁寧な納まりが強く腐りにくい建築となる。この伝統の力強い工法にこだわり、そして継承する木組みの家』が 中村さんの信条である。ハウスメーカーが提供する住宅は、25年は持つだろうが50年・100年先はどうだろう? 年月を重ねるほどに風格を増しつづける 家。工場規格で生産するハウスメーカーにはこの手作りの仕事はまね出来ないだろう。「後悔のない家づくり」を考える人々には「ぜひ見て確かめ、参考にして ほしい」と思う。『百聞は一見にしかず』