野生の大吉(05年新春、現在は11歳)           2006年5月より田舎暮らしを始め、農作業と炭焼き、その他いっぱいの日々が進行中

   
半Xは、時には炭焼き(左から、オイル缶釜のセット、燃焼と余熱での芋焼き、木酢液の採取、作業場の全景=畑のスミ)

2006年12月24日。元気ない苗もあり 34年間勤めた仕事をやめ、今、少しばかりの野菜を作りはじめています。この秋には、タマネギの苗を150本買い、植えつけました。
 ようやく、土になじんできたのかと思いきや、一割ほど苗がとけてなくなってしましました。元気のない苗もあり、収穫はどの程度になるやら…。「できたら あげるネ」と友人、知人に言った私のトーンが、だんだんさがりそう。野菜づくりって、難しいナーとつくづく感じています。(良子、H紙読者欄に投稿)

2006年11月7日。今日はとても風が強かった。そちらも強かったでしょう。仕事しているとわからないかもねー。こっちは、家の回りの置き板が飛ばされたり、立てかけた竹が倒れたり、土で覆ったマルチがはげたりなど大変だった。
 大吉も外に出たがらないほど風が強かった。天気は良かったけど……。大きくなったブロッコリー、白菜、大根が風にあおられていまにも倒れそうでした。手 塩をかけた野菜が強風にさらされている姿を、窓から見ていてネ 辛かったよ。それでも野菜たちは、強風にめげそうになりながらも、風に身をまかせながらも 倒されまいと必死に揺れていたよ。夕方には風が収まってきてホントにホッとした。
 野菜のことを見ていて佐知子と伸介のこと目にうかんだよ。二人共ネ 社会という強風もまれながらも、野菜のようにめげずに ふんばっているのかナーって。
 全く親ばかだね。また、二人に会いたくなちゃった。親離れしているのに……。 子離れしない親だね。ゴメン!ゴメン!。(良子より佐知子・伸介へのメール)

2006年10月27日。ここ数日、我が家を建ててくれた中村住宅への感謝の気持ちから『木組みの家・中村住宅 施主が語るその家づくり』と題するA5版8ページのパンフレット作成に没頭していた。ようやく完成した。その内容がこのホームページからも見られるようリンクも貼った。(治)

2006年10月18日。明 日、そちらに行こうと思っていたのですが、来週の月曜日か火曜日に行くことにしました。実は、大吉の具合が良くないんだ……。10月14日ごろから元気な くゴロゴロしてばかり、15日はもっと元気なく好きな牛乳も飲まないでいたけど……。16日は、夕方頃からグッタリして尻尾も振れない状態……熱を測った ら39.5分(犬の平熱は38度から38.5度位)で呼吸数は43回/分(普通は33回/分)で苦しそうだった。一晩中熱でグッタリしてたので、小児用の バッファリン(熱さまし)を1/4個のませ、脱水防止のために肉汁400t程やったら、飲むかなと案じたけどペロペロと全部飲んでくれた(うれしかった よ!)。
 17日の朝ゲロッと吐いてスッキリしたのか、熱も38.7分と下がり元気も少し出てきた。早々獣医さんに連れて行き診察してもらいました。獣医さんは、 発熱の原因はわからない、胃腸がやられたのかも?と。 解熱剤と水分を与えたのは良かったと 褒めてくれたよ……。これからまた熱がでるかもしれないと  抗生物質と吐き気止めの薬と病気の時に食べさせる缶詰一缶を処方してもらいました。
 今は 少し元気がでて尻尾を振りって散歩していますが、熱もまだあり、食欲もありません。元気になるには、もうしばらくかかるかのかな?。早く元気にな るとイイナ。大吉は、この10月で満11歳になりました。人間で言えば68歳にあたるそう(獣医さんの話)……。大切にしてあげたいと思う。と言うわけで 次週に帰ることにしました。大吉への見舞文一言頼むゼ!(良子より佐知子・伸介へのメール)

2006年10月8日。今 日は収穫を祝う秋祭りでした。この近所で御輿が出たのは植野と赤羽根の部落だけです。植野の御輿にはこの5年間のうちに何度か遭遇していましたが、赤羽根 には今回初めて間近に見にいきました、大吉と。伝統というか、なにか意固地に守ろうとする執念を感じる御輿でした。中島の部落はもはや御輿を出すことがで きなくなっていますが、赤羽根のSEさんは「若い者が年々少なくなっている」と今後を不安に思う気持ちを吐露していました。しかし、この部落が御輿を出さ なくなる時は、どこにも昔ながらの祭りがなくなってしまう時のように私には思えました。(治)

2006年10月6日。庭 がステキに整備されました。基本的には芝生の庭ですが、アプローチの右側と駐車スペースには枕木を埋め込み、玄関前には花壇を配置しました。11月頃に次 郎柿などの実のなる木々が移植されれば完成です。来春から秋への移り変わりがいまから楽しみです。また、草取りから芝刈りへと日常生活も変化します。雨降 りが続いています。あちこちに発生した水たまり対策や、削った土を盛り上げた土手の土留めなど、晴れたらさっそく土木工事の日々が続くことでしょう。

 翌日、台風一過の秋晴れとなり、今までに見たこともない見事な虹が西の空にかかり、大吉はモグラをゲットしてご満悦。(治)

2006年9月28日。「で きれば二泊していただけると、興津城址への散歩(往復3時間)、朝市後に→勝浦の岬散策(所要2〜3時間)、御宿のパークゴルフでのプレイ(18ホール・ 一人500円・所要3時間)、養老渓谷でのリフレッシュハイク(幻の滝〜渓谷の散策路〜粟又の滝、所要4時間)+日帰り温泉「ごりやくの湯」(所要1〜2 時間)、江戸情緒の残る大多喜散策(所要2〜3時間)、藤本ハウスでの農作業・炭焼き体験(所要3時間以上、無限大まで)など、ここを拠点に近場で楽しめ るいろんなプランが選べるのですが、何とかなりませんか? ご一考ください。」(治より良子の友HAさんへのメール)

2006年8月6日。  こちらは畑も順調で、キュウリ、ミニトマト、ナスは毎日食べられる程収穫できます。ゴーヤ、かぼちゃ、とうがんは今ひとつといったところ。家の回りの整地 もでき、雨が降っても水たまりができなくなりました。大吉も近所の人たちに「かわいい」「かわいい」といわれながら元気です。今海水浴シーズンで興津の浜 は、とてもにぎやかですよ。それにこちらは回りが田んぼで、山にかこまれ風があり、とても涼しくしのぎやすい。朝晩は少し寒い位です。新潟の気候に似てい ます。是非おいでください、待っています。 得意の魚の手料理?で待っています。連絡ください。(良子よりSAちゃんへのメール)

2006年7月27日。  元気かねー。二人とも体にカビはえていないかね。早く梅雨あけるといいね。今、枚方のおじちゃんが興津に来ています。おばあちゃんを最後まで面倒みてくれ た人です。お葬式の時お小遣いをくれたおじちゃんですよ。7/23に来て7/31まで滞在予定です。7/29からは稲城一家(子供を入れて9人)が来て、 おじちゃんと合流します。とってもにぎやかになると思う。
 ふとんがカビ臭くて、陽に 干せなくて困っています。まあ何とかなるでしょう。
 花火大会には、大吉と三人で帰ります。暑いだろうナ‥‥。こっちはとっても涼しいよ。風がとてもいい。(良子より佐知子・伸介へのメール)

2006年6月29日。 6 月28日(水)に麻綿原にあじさいを見にいってきました。清澄寺からテクテクとハイキングしました。コースにはヒルがうようよいて閉口。母は、2カ所かみ つかれ血をしっかり吸われました。父は靴下まで5〜6匹はい上がられてワーワー大騒ぎ、大吉は手足底3〜4カ所かみつかれ血をたらしていました。いやはや なんと気持ち悪いいきものです。森林をみるより、下ばかりみていたハイキングでした。ヒルがいなければ、最高なのに‥‥。清澄寺から麻綿原までは4qあり ますがこのコース一帯は、東大の研究林になっていて70度位の急斜面に檜、杉、などが植えられ、ノゲ止めに芙蓉柳が植えられたりしています。道中、道ばた に水たまりがあるので、なにげなくを見ると、なんとオタマジャクシが泳いでいるじゃないですか。どうしてこんなところにと思って回りを見ると、水たまりの 上の方に木がおい下がりその木に白い泡のようなものがしっかりとついています。そう、もりあおがえるの卵です。木に卵を産む天然記念物となっているかえる の卵です。さらによく見ると、ただの水たまりでまく、回りから水が少しずつしみ出て水たまりとなっているようです。 このような場所しっかり見つけ生きて いくんですネ。ちょっと感動したよ。
 明日は、大工さん、船長さん、先生の知り合った四人を我が家に招待して酒盛りを行う予定。(良子から佐知子へのメール)

同上。 昨日の昼から麻綿原高原のあじさい寺に行ってきました。安房天津の清澄寺に車を止め、約4キロの高低差の少ないハイキングコースを歩きました。ところが、歩き始めてほぼ1キロぐらいで「足に違和感」、なんと山ヒルが靴下との境目に食いついて血を吸っているではないか!!
 お父さんもお母さんも各3匹の山ヒルの餌食となり、大吉は6匹もの山ヒルに4本の足の裏にそれぞれ食いつかれ、たっぷりと吸血されました。おかげで大吉 は貧血状態。現在、ぐっすりと眠っています。以上、今日の出来事おわり。山ヒルには十分注意しましょう。(治から伸介へのメール)

2006年6月11日。 メール、ありがとうございます。
 さて、現在、雨の合間をぬって南側に畑を3面耕し、石ころを拾い出して整備しています。(畑はこれで6面になりました)また、雑草のはびこるのと競争で クローバーの移植に励んでします。というのは、家の周りにコンクリートや砂利をあまり入れたくないので、どうせならと雑草の中からクローバーを選んで招き 入れることにしたのです。この間の収穫はキャベツが5個(うち3個は破裂)、ジャガイモが小量(日照不足と低温つづきのせいで大粒なし・総量少なめ)でし た。MAさんが立ち寄ってくれたときにキャベツが残っていたら「お好み焼き」をごちそうしましょう。キャベツをおいしく食べる「ためしてガッテン」方式で 料理して…。炭焼きもやりたいのですが、雨降りが多くて手が着かないでいます。
 次にこちらにおいでの時には、是非お立ち寄りください。カミさんも一緒ですので、遠慮なく、好きなだけお泊まりください。(プレハブではなく、2階にお 泊めします)できれば、やることがいっぱいあるので「手伝える余裕」を持って来てください。では、また。(治より帰農塾同期生MAさんへの返信メール)

200X年5月28日。  鴨川・自然王国での里山帰農塾に 参加してきました。良子と私が選んだ選択に、自信と勇気を与えてくれた意義深い学校でした。また、他の7人の受講生と旧知の仲であるかのような親密な間柄 が出来たのも喜びです。私たちはたぶん(まちがいなく)田舎に引きこもるのではなくこれまでの生活の延長では実現できない「世界の広がり」を積み重ねてい くと予感しました。以上、第一報とします。(治より佐知子へのメール)

2006年初夏【始まりの手紙】
新しい生活に踏み出しました
 初夏を迎え、木々の葉もいっそう色濃く映る季節となりました。
 長年勤務した職場を二人(治・良子)とも退職し、かねてから計画していた”半農半漁でほぼ自給自足(野菜づくりと魚釣り)”、”晴耕雨読”の生活をここ千葉県勝浦市でスタートさせました。
 わが家の周りは田畑が広がり、その周りを低山(100b程)が取り囲み、カエルが賑やかに鳴き、初夏には蛍も出現し、まむしもヒルも居るところです。セ カンドライフは、二人とも土や海に親しみ、自然と共生しながら生きていきたいということで一致し、5年がかりの準備の末、その一歩を踏み出したところで す。
 長年、皆様のご指導・ご鞭撻のおかげで勤務できたことに厚く感謝しつつ、近況のご報告といたします。お近くにお寄りの際は、是非、お立ち寄りください。

2006年3月31日。 良子も本日34年目にして退職日を迎えた。SAちゃんから見事な「こちょうラン」を贈られ、佐知子からは寿司とマグカップ、伸介からはデジカメをプレゼントされた。メッセージは「新生活を楽しんでください」と。(治)

2006年3月7日。 本日より定年退職後の生活がはじまった。退職日は15日だが年休消化の連続休暇に入ったからだ。それでも有給休暇を10日も残すことになる。
 それにしても昨日の勤務はこの一年の総務課での仕事を象徴するような一日だった。朝から電話は鳴りっぱなし、人の出入りも次からつぎ、せわしなく業務の引き継ぎと身辺整理に追われた。このストレスと精神疲労から永遠に解放されたのだ。
 オイル缶で炭を焼くため平タガネ(\714)、金切りバサミ(\2580)、ドライバー(\1030)とクランプ(\2290)を購入した。道具がそろうと何かしら出来る気分になってくる。
 伸介が造ってくれた入れ歯を入れた。オエーとする異物感がつきまとうが、久々に両の奥歯で夕食を噛みしめることができた。違和感はあるが、我慢して使い続けるゾー。(治)

2006年1月29日(旧暦正月)
【予告の手紙】06年4月より藤本治・良子は共に定年退職し自然と仲良く生きていきます
 昨年より旧暦を指針に暮らすようになりました。今年は一年が13ヶ月で秋に閏月が入る年です。浅学ながら、長い秋にそなえて冬が早くおとずれたんだなぁと勝手に納得し、かつ早い春の訪れを予想しているところです。
 さて、新春にあたり、私たち二人は定年退職を早め、以下のように「我がスローライフ」をスタートさせることにしましたのでご報告いたします。
 釣りにはまり各地に出向くうちに、外房興津(おきつ)に魅せられ、偶然の重なりで5年前に手に入れたこの地に定住します。この間、毎月第2土曜・日曜日 に通い、昼は畑を耕し、夕刻や早朝は釣りを楽しんできました。建築をお願いした地元の棟梁・NAさん(56歳)をはじめ、ご近所の方々とも懇意になり、こ の地になじむ手掛かりを得ることができたので、踏み出します。
 敷地内の畑からの恵みと、放し飼いにする鶏の卵や釣りでの授かり物をタンパク源に、半農半漁でほぼ自給自足できる生活をめざします。また、裏の東光寺の竹林を間伐させてもらい、竹炭を焼こうなどとも計画しています。
 ぜひ、この夏には避暑や海水浴をかねてゆっくりとお出かけください。

2004年元旦
【願望の手紙】
大地と海の豊かな恵みに感謝
 日頃ご無沙汰ばかりしておりまして申し訳ありません。
 そろそろ第二の人生をどう過ごすか考える年齢になりました。佐知子も伸介もまだ自立したわけではないけれども、まもなく自立することを信じて、私たち自身のことを一番大切に考えたいと思っております。